社長インタビュー

会社について教えてください。

昭和62年に、饒波左官工業を立ち上げました。職人は2〜3名からのスタートでした。人が集まらず苦労しました。社員が10名なるのに、10年以上かかったと思います。私が先頭になって、ヤンバルから離島までどこでも行ってました。

現場で大変だったのは、職人全員がモルタルの仕事ができませんから、現場を回すために職人の配置や段取りにとても苦労しました。

あと、とても苦い経験ですが、何回も不渡りに遭いました。ほとんどが取引先の会社が倒産しての不渡りです。

でもね、それが肥やしになるんです。そういう厳しい状況でも現場を頑張ってやりきると、そこの会社がまた次の現場で呼んでくれる訳です。よく乗り越えたと思ってますよ。職人の給料も払わないといけないですし、会社の資金繰りもあるし、大変でしたね。

饒波左官工業から中城美装工業に改名。


中城工業の沿革についての手書きメモ

饒波左官工業で創業してから17年目の平成15年、中城美装工業に改名してます。
中城美装工業に改名してから13年目の平成27年1月に、法人化して「株式会社中城工業」を設立しました。社名は、「ナカグスクコウギョウ」ではなく他社と被らないように「中城工業(ナカシロコウギョウ)」 という社名にしています。

今、どこも人手不足です。中城工業での採用と人材育成について教えてください。

採用はやる気さえあれば誰でも歓迎です。うちの会社は世代が幅広いので、他の職人とコミュニケーション能力もある人が望ましいですね。

人材育成については、これからの世代はみんな一級左官技能 士取得を目指してもらいたいと思っています。現場での作業の後に練習場で試験練習を行うのは大変ですが、そこで踏ん張れる人材が、後々の職人となります。試験練習もその前の回で受かった人達が教えるというのが習わしになっています。

試験で受かる事だけじゃなくて、受かった後どこの作業で役立てるか、次の後輩にどうわかりやすく伝えるか。試行錯誤して成長していってほしいですね。

最後に、会社目標を教えてください。


令和元年6月に実施した社長インタビューより

仕事が途切れずに常にある。工事の工期が守れる。仕事の品質が良い。これはこれまでに培ってきたものです。これからはこれに加えて「働きやすい会社」を目指していきたいです。

福利厚生・休日を整えていく事はもちろんですが、会社内(現場)の雰囲気も大事です。昔のように「見て盗め!」も大事ですが、教える力・伝える力を養う事も大事です。

やられて嫌だった事も後輩にはせず、時には優しく、厳しく教えていくことができる環境を目標にしています。朝起きて、「あぁ〜。仕事行きたくないな〜。」より、「今日はどんな仕事があるんだろう。」「この前やった仕事の続き楽しみだな。」という(+)の気持ちが勝つような職場にしていきたいと思っています。

中城工業が目指す左官職人集団とは

一人前の左官職人として認められてもらうのは簡単はことではありません。しかし、簡単なことではないからこそ、「やりがい」を感じられ、「ものづくり」に対しての誇りを持つことができます。我々、中城工業が求めていいる人材とは?興味のある方は人材育成ページをご覧ください。

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